偏見(へんけん、英語: prejudice)とは、偏った見方のことである。差別と密接な関係を持つ。

ゴードン・オルポートは「偏見とは十分な根拠もなしに他人を悪く考えること」と定義する。ここで言う他人を悪く考えることとは、「好意を持たない感情、恐怖感、嫌悪感と共に他人の差別、誹謗中傷、暴力等の反感を持った行為」である。

上記の定義はあくまで否定的偏見(ネガティブ偏見)である。十分な根拠もなしに他人をよく考えることもありうる(好意的偏見)。それを考慮にいれれば「偏見とは、十分な根拠もなしに他人を好きとか嫌いとかと判断する感情である」と定義されるべきとの主張もある。しかし、偏見の大部分は否定的偏見が占めている。

 

 

概要

 

人間は、ある対象の性質や優位性の有無などを判断するにおいて、対象に関する見かけや所属といった断片的な知識や情報、自らの属する社会、宗教、文化などが有する価値観、あるいは個人の経験則を判断基準として用いる場合がある。これらを実際の性質や実態を無視し、主観的・恣意的に選択された比較的単純な判断基準として用いることで生み出される事実上の根拠がない思考が偏見である。

また、偏っていない中立的・客観的な見方の対義語という意味ではなく、実際において主観的か、意図的か、対象の実態に沿っているか否かに関わらず、単に多様な視点に欠ける一方的・単純なものの見方に立脚した思想、態度に対して用いられることもある。

新しい証拠にもとづき自分の誤った判断を修正することが出来るなら、偏見ではなく予断に分類される。修正できないのであれば偏見である。ある偏見が矛盾を付かれる証拠があっても、進んで拒み、感情的になるのが特徴である。

なお、偏見の言い換えとして、『バイアス』(意義的には感情バイアスあるいは認知バイアス。bias:本来『偏り』を意味する英語)という外来語が用いられる場合がある。ラテン語のpraejudiciumは経験に基づく判断を意味だったが、英語化されたprejudiceは未熟な・軽率な判断という意味の現在の偏見という言葉に当たる。 また『色眼鏡』で見る。『フィルタを通して見る』と言う言い回しも使われる。